2024年6月22日(土)、サッポロビール園・ガーデングリルにて久成会2024年度総会が開催された。
林下会長の議事進行により、2023年度活動報告、2023年度収支報告及び会計監査報告、2024年度活動計画及び収支予算案の審議がなされた。
総会の後、「史実が語る琴似屯田兵村と村橋久成」と題し、原田副会長による講話が行われた。
かごしま久成会の斎藤会長からの問い合わせがきっかけで、「琴似屯田兵村創設の歴史」についていくつかの資料にあたって、あらためて気づいたことや村橋への想いを語られた。(以下要約)
村橋久成は黒田清隆に琴似村の測量・設計を命じられ、明治7年4月に現地入りし測量の上、兵屋を厩舎付き一棟5戸の長屋式の密居制にし耕作地を遠方に配置した区割りを企画したが、松本十郎大判官に「旧幕府時代の足軽長屋である」と酷評される。
黒田は松本の意見を認め村橋を5月に更迭。開拓使顧問のケプロンに再調査を依頼し兵屋を一戸建てとし防寒設備を完備すべしという報告を受ける。
しかし11月の竣工予定に合わせ諸々の準備は進んでおり、何より予算の制約があるため、結局のところ一戸建て、土台付き板囲い、屋根は柾葺き、防寒のため一部土壁、囲炉裏暖房とすることで実施に踏み切る。
すったもんだの末、なんとか予定通り11月に208戸の兵屋が完成した。
村橋としては、上局提示の予算と兵屋建設の竣工予定を守り、密林の中で暮らす家族の不安も考慮した区画割をしたと考えられる。更迭はその後のキャリアに影響はなかった模様である。
なお、明治7年11月の建築当時のままの姿で、琴似神社境内奥に兵屋が残されており北海道指定有形文化財に指定されている。その琴似神社から提供された資料には、4代目宮司(大正初期生まれ)の【屯田兵屋については、現在まで一部には粗悪な建物であるという見方がありましたが、当時、土壁つきの家屋は水準以上で、一般の開拓入植者の住まいと比較しますと、きわめて恵まれたものでした】という記述があるそうだ。