北海道札幌市中央区南1条西1丁目 1987年(昭和61) 制作者 農民彫刻家 松田与一 題字 札幌市長 板垣武四
二宮尊徳門下。「人の一生は金銀財宝に富めるにあらず、積善の道に如かず」を信念とした。
「安政5年(1858)に渡道し、慶応2年(1866)には箱館奉行に蝦夷地開墾の計画を提出するととともに石狩地方開拓の命を受け、札幌市東区(旧・元村)に土地を選んで開墾し、札幌の街づくりの発端となった。明治2年(1869)これを開拓使に引き継ぎ、翌3年、札幌を去った。亀太郎が掘った大友堀は 今日の創成川の基となって街の中心部を流れ続けている。」(副碑文より)