平成17年(2005)9月23日、北海道知事公館前庭において、開拓使ビールの生みの親として知られる、村橋久成の胸像の除幕式が執り行われた。
村橋は慶応元年(1865)、薩摩藩が密かに英国に派遣した留学生の一人であり、箱館戦争時は政府軍の軍監として五稜郭の無血開城に奔走、後に北海道開拓使官吏として、麦酒醸造所(サッポロビールの前身)をはじめ葡萄酒醸造所、琴似屯田兵村、製糸所、鮭缶詰製造所等々の創設に力を尽くした人物である。
その業績に比して認知度は高くはなかったが、昭和57年(1982)、作家・田中和夫氏による小説『残響』の北海道新聞文学賞受賞をきっかけに、村橋久成の名は人々の知るところとなり、それに触発された日本芸術院会員の彫刻家・中村晋也氏による胸像「残響」が誕生した。
二つの「残響」に導かれ、歴史に再び登場した村橋久成の生涯と、近代化に向けて大きく動き出した当時の歴史に思いを致す。