北海道北広島市島松1−1 1873年(明治6)に設置。1984年(昭和59)国指定史跡
明治6年(1873)に札幌本道(函館~札幌、道内初の馬車道、現在の国道36号)の開通に伴い、官設駅逓所として島松川の右岸(胆振国千歳郡島松村、現在の恵庭市)に設置されたのが始まり。初代取扱人は勇払場所の総支配人でもあった山田文右衛門。
明治17年(1884)からは、現在の北広島市島松で赤毛の栽培に成功し、「寒地稲作の祖」と称される中山久蔵が4代目の駅逓取扱人に命じられ、中山宅が駅逓所となった。明治30年(1897)の島松駅逓所廃止までその経営にあたった。
W・S・クラークは、明治9年(1876)、開拓使に招かれ札幌農学校の教頭になった。翌年、9ヵ月の任期を終えて帰国することになったクラーク博士は、4月16日に札幌農学校を出発し、この駅逓所付近で学生や教職員たちと別れる際に、”Boys, be ambitious” という名言を残した。